いい加減、震災で可哀想な人って報道はやめたらどうなんだろうか

阪神淡路大震災から19年が経つそうです。
いまだにやっているルミナリエとか、論外ですが、、、その話題ではなく。

20年たったら、返す約束で借りた金の返還要求や、退去する約束で住んでいる借り上げ住宅からの撤退要求ってのを「被災者だから可哀想」って理由で拒むのは、法の下の平等の名のもとに暮らしている大半の国民としては、いい迷惑な行為なんじゃないだろうか。

借りた金を返さない奨学金は国家運営のサラ金だとか、訳の分からない論を唱えて金を返さない人を擁護するプロ市民と同じで。

約束は約束でしょという話。

大半の人が、コツコツと返済したり、返済し終わったり、苦労と努力して新しい住処を見つけたりしているのに、ゴネれば勝ちってのは、、、一部生活保護利権に群がる「働いたら負け」ってプロ市民と同じ考えじゃんと。

震災の復興仮設住宅にしたって、、、
要は、震災で被害にあわなかった、最もその地域でいち早く開発ができる安全な一等地な訳で、約束を守らない一部の地元被災民のせいで、復興復旧が遅れるんでさ。
約束通り立ち退いてくれれば、そこに大半の被災民が役に立つものが作れるんで。

1000年で3回も大津波被害にあっている海岸沿いの住民や、崖と川に囲まれた限界集落の住民とかなんて。
大自然の被害にあっても文句は言えないような土地に自分の都合でわざわざ住んでいるんで、それを被災したから国が全面的に支援せよとか言われてもどうだかなと思うんでさ。


震災が今後もいくらでも起こる島国日本で、被災したからという言い訳が効くのはいい加減2年くらいにしてほしいものだと思うんだけどさ。

阪神高速の復旧の早さを見ればよく分かるように
どうしても復興し、復旧が必要なものは、何が何でも復活させるわけで。

2年たっても権利関係すらまとまらないようなものは、そもそも復興もいらなきゃ、復旧なんてとても要らないんで、やりたい人と利権の絡む人が自己資金で勝手にやりゃいいと思うんだな。

20年も経って、未だに被災した可哀想な人を演じている人によって、大半の人が直接間接として迷惑すら受けているってことはもっと報道されていいと思うんだけど。

ま、そんだけ。

例えば(例えにならないかもだけどさ)地震で大けがするのと、交通事故で大けがするのと、
突発的事故に巻き込まれるという意味では同じことなのに。
何故、震災で被害を受けた人だけが、いつまでたっても被災者です、自治体が何とかしてくださいって言えるのはおかしいじゃんって。